自動化こぼれ話

山梨大学名誉教授 牧野 洋

 自動組立の定義はいろいろある。その中での傑作は「自動組立とは自動組立をやらないことである」というものであるが、これを理解できるようになれば技術者として一人前であると言えるだろう。

 よくある間違いは「自動組立は組立の自動化である」というものであり、そう解釈したために何人の人が失敗を繰り返してきたか分らない。今ある組立作業を、そのままの形で機械にやらせようとすると、人間が器用さで補ってきた不確かさにすぐに直面することになり、不器用な機械はたちまちエラーを引き起こすことになる。

 たとえば、ボールペンの軸にキャップをかぶせるという簡単な仕事を考えてみよう。あいまいな人間はこれを極めてあいまいにやっていて、空間の中で位置も決めずにすいすいと嵌めている。

 その同じことを機械にやらせるとどうなるか? 双腕ロボットが左手にペン軸を持ち、右手にキャップを持って、視覚か力覚(ちからかく)でフィードバックを掛けながら慎重に押し込むということになる。

 貴方がそうしたロボットを開発したいというのなら私はあえて反対しない。けれども、ボールペンの組立をやりたいというのなら、そんなことはおやめなさいと言うだろう。

 機械には機械のルールがある。それを生かすように計画するのが自動組立なのである。自動組立が可能になるように「何かをすること」、それが自動組立なのである。それは、ある場合には工程の組み換えであるかも知れないし、工場のレイアウトの変更であるかも知れない。下請け作業の見直しということだってあるだろう。「そんなことはできません」というのなら、自動組立はできないことになる。いや、むしろ、自動組立をやりたくないためにそう言っているのだという方が正しい。何か新しいことをやるよりは何もやらない方が楽だから。そうした怠惰な心を駆逐することが自動組立だということができる。(また新しい定義ができた。)

 いろいろな「何か」のうちで、もっとも重要であり、また効果の大きいものが製品設計の変更である。自動組立は製品設計に始まり、製品設計に終わる。組立しやすいように製品設計を変えていくと、ある場合には組立作業が不要になる。そこで、「自動組立をやらないことが自動組立だ」ということになるのである。